前夜

ビジネスホテルレベルの宿は気密性というか圧迫感が物凄い。狭い部屋にベッドと机のみ。ぎりぎり歩くスペースがあるくらい。ほんとクソ。和室ならまだまし?

でも京都の宿もぼったくり。一人一泊二万円から。値段高いだけでなんにもない。冷蔵庫も。受験に向かない。

生協の斡旋も高い。しかもほとんど受験生ばかりっていう空間が気持ち悪そう。相談員って何?前日に何を話すの?


前日に何を、どう、どのように…試験前日の精神状態を想像すると今から浮足立ってくる。きちんと受験をして失敗した三年前のことははっきりとは思い出せない。ただ、テンパって落ち着けなくて焦りとか気持ちが溢れてどうしようもなくなっていたけど、でも誰か相談員とかに話を聞いてもらったり、有料チャンネルで気を紛らわせたり、寝つきを良くするために軽く飲んだり・そんなことをして気持ちが漏れ出てしまうことだけは耐えられなかった。ただ、あの時だけは全力で苦しんで眠れない夜に打ち克たなくてはいけない。そう思ってた。覚えてる気持はそれくらい。備えるべきはそれについて。

今思い返せば、その状態は良くなかった状態なのかもしれない。受験を迎えるためには気楽な相談員に話をきいてもらうのも、当時は全く信じられなかったけど、ホテルから会場までずっと親に付き添ってもらうのも賢いことなのかもしれない。でもやっぱり今はそんな選択はないと思える。その当時ならまだしも、今はずっと一人でやってきている。こんな独善的に誠実でありたいとだけ思っていて、そこで誰と接するの?仮面浪人だなんて腐りきった選択をして、誰に助けを求めようと思えるんだろう。以前と一番違うのは、そんなぎりぎりの状態になっても互いを高め合おうとする関係の人間に対しても秘密をもってしまっていること。そいつら以外には追い詰められても気持を伝えられない。意味がない。今回はもっと苦しむしかないと思っている。


こんな、自分で勝手に追い詰めていって馬鹿みたいに思える。最近ずっと冬のことを考えては怖くなっている。弱ってたまるか。京都に行く時の連れを考えている。その精神に見習いたいエミリー・ブロンテの詩集か、それとも何か別の物語か。